シルバー人材

自分も年を重ねていくと「シルバー」という言葉が他人事ではなくなり、その言葉自体がどうなんだろうか、と思う今日この頃ですが、本題は塾としてシルバー人材を積極的に取り入れてゆく理由についてであります。

かつて当塾でも大学生のアルバイト講師を採用していた時期がありました。とても能力のある学生もいる反面、合格点をあげられない学生も多々おりました。酷いケースでは、ある学生講師に任せたために生徒が即辞めてしまった、という事態も発生しました。そうなると学生講師には「何々をやりなさい」と画一的な研修を受けさせなければならなくなります。しかしそうするとどうしても当塾の理念と相反することが生じてきます。つまり、「学習とは(広い意味で言えば教育とは)人と人の間の関係から生じるものであって、人がそれぞれ個々に異なるものであれば、当然に学習をサポートする講師は個々の生徒に対してそれぞれ異なる対応、方策をもって臨まなければならない」と思うのです。更にもう一点追加すれば、社会で働くということは、勉学の世界とは違って「人と人との信頼関係」で成り立っています。しかし人の信頼を得ることはとても難しいものです。社内であれ顧客であれ、さまざまな軋轢が生じるなかでなんとかバランスを取りながら生きてゆくしかないのです。それはとても辛い体験ですが、同時に貴重な体験でもあります。(その最たるものはもしかしたら自分の子供かもしれません。)シルバー人材とはそれほどに尊い経験を積んだ人たちであります。これまでの経験でいえば事務的な研修を別とすれば、「どのように教えるか」ということについてはワンポイントアドバイスのレベルで十分にやっていただいております。

広告

英語検定の功罪と本当の教育

英語熱は2016年頃から検定試験にスポットライトが当てられているようです。中学生以上の生徒なら大学受験制度改定に触発されたのは理解できますが、もっと年下の子どもたちまで英検などを受験するようになっています。現在の実力を測ったり、勉強の目標設定になるから、などの理由で検定試験を利用することはとてもいいことだと思います。しかし、母親たちの特性なのでしょうが、「誰々ちゃんはもう何級をとったのよ」とか「うちのスクールでは小学生で2級は普通です」のような、仲間うちやスクールの宣伝に乗せられて必要以上に加熱している場合もしばしば見受けられます。検定対策講座を開催している立場から率直に言いますと、試験である以上どうしても技術を必要としますから、そこに対策講座の存在意義もあるわけですが、純粋に教育者としての立場で言えば、「本当にそのレベルに到達しているかどうか」ということが大切なのではないでしょうか。私もそれなりに歳を重ねてきて思うのですが、どうも最近の教育の傾向として(ありていに言えば多くの親の傾向として)目標に直線的に到達することを子供に強いているように思います。それは親の目標なのであって、必ずしも子供の目標ではない場合が多いと思います。子供の成長とは、多くの寄り道や後戻りを経験しながら広い視野をもった個人へと成長してゆくことが大切なのだと思います。一つの事象がいろいろな所へと結びつく、神経細胞で言えばニューロンが網の目状に結びついている、そんな思考回路や人格形成がなされることこそが本当の教育だと思います。英語教育という、たった1つのものだけを取り上げても、同じことが言えると思います。

京都大学合格

生徒O君が京都大学を志望したのは多分私の助言が影響したのだと思います。「学問を修めたいなら東大より京大だよ」と何度か話したと記憶している。今でもその考えは変わっていない。東大の入試問題を見ればわかると思うが、やはり官僚養成学校なのだ。京大の入試問題は東大のそれとは全く異なる。そもそも、研究者や哲学者として興味深い人々は圧倒的に京大出身者の方が多い。偏見だろうか?それでもやっぱり京大が好きだ。